早く死んでレスラーになりたい。

早く死んで、(生まれ変わってプロ)レスラーになりたいということです。大丈夫です。

楽しい生活が続いているよ

先日見たシェイプ・オブ・ウォーターの凄まじいばかりの感動の後(あのあともう一度見に行った)、さすがにそれも落ち着いてまた頭の働かない日々に戻っている。永遠に機械から出て来る真っ白なレシートに時たま点々と色のついた水滴がついているような、そしてそのシミもすぐに薄く小さくなっていき、また白紙のレシートの連続に戻るような、そういう日々を過ごしている。

 

芸人だったことから、俺の周りにはなにかしらにもがいている人が多くいるのだが、彼らのレジから吐き出され続けるレシートは、もがいていながらも歴とした鮮やかな色に彩られている。努力と経験というインクだ。それを俺は巨大スーパーの1番のレジから8番のレジを眺めるような距離感で感じている。

 

たまに彼らに会えばどいつもこいつも嫌なやつは1人もいなくて、昔の俺をよく知っている人はたくさん心配してくれる。どうやら俺が段々病んでいるようにも思えるようで、その視線が怖くて、そんな話題になれば昔のように大きな声を出して話し、笑うように努めてしまう。そういう時に、自分が一体いまどっちにいる人間なのか分からなくなる。

 

なにのせいという訳でもないが、俺は、どこか病める人たちに他の方々より長く多く接してきたと思う。そのおかげで、自分がどれだけマシな身分で今まで生きてこれたのかを、道路に映る影の黒さで光の強さを感じるように認めることがある。そして、あの人は苦労してて、あの人は生まれつき大変で、あの人は運が悪かった、そんな話が集まって来ると、なぜかその不幸に嫉妬しそうな自分がいて怖くなる。そうなったら終わりだが、振り払えない。

 

いま彼女がゲームで育てているカエルの家に亀が来ました。

 

なにが言いたいのかというと、彼方と此方でどちらの岸にも上がれない船の上に居続けることも中々の地獄だということだ。あっちの岸からはもう離れてしまったし、こっちの岸は俺には上がる資格が無い気がする。でもそんな人間のことを誰が気にかけるのだろうか。どちらの岸も忙しそうでてんやわんやしている。俺はどちらにも漕ぎ出そうとしないまま沈みかけている。

 

独りでいると独り言がとまらない。このままじゃ街で見かけるヤバいジジイになっちまうよ。

 

シェイプ・オブ・ウォーターを観たよ

年に何十本、何百本と映画を見る人間ではないが、いい映画というものはそれなりに観てきたと思う。

 

俺の親父は、俺が物心ついた時から、よく映画を家のテレビで流していて、自分の好きな映画のビデオやDVDを買ってきたり、放送を録画したりしていた。とにかくおとなしい人で、画面を眺めてる親父に「これ面白いの?」と聞くと、「ぁぁ…」とかボソボソ答えて、どこのなにがどう面白いのかは全く教えてくれない。そういう人だから、俺にそれらを無理やり見せたりすることもなかったけど、成長するにつれて、親父が俺に見せたくてそういうものを揃えていることが段々とわかってきた。それを疎ましく思うこともあったが、普通の26歳の人間なみにはものを考えることができるようになったいま、そこに面白くない映画はただの一本もなかったと分かる。

 

ファンタジア、メリーポピンズ、七人の侍、天国と地獄、アマデウススターウォーズゴッドファーザー狼たちの午後カッコーの巣の上でセルピコシンドラーのリスト大脱走パピヨンガンジー

 

音楽だってそうだった。ビートルズストーンズツェッペリン、ボブディラン、デビットボウイ、ジャニスジョプリン、ディープパープル、ピンクフロイド

 

他に漫画や、SF小説や、俺の好きななにもかもは親父の好きなものだった。全てそこから始まって、自分はただ親父の示してくれた地点から広げ歩いていっただけだ。おかしな話だが、自信を持ってそう言える。俺の親父はマジ最高の人間だ。

 

だから俺は、自分の中で、いつ誰に聞かれても答えられる最高の映画がハッキリと3本あり、それらは全てむかし親父に教えてもらった映画だった。

 

…そして昨日、シェイプ・オブ・ウォーターが4本目に加わった。

 

もう全てはとても言い表せないけど、本当に素晴らしかった。親父の手を離れて映画を見るようになってから随分経つが、こんなに素晴らしい映画に初めて自分で出会えた。それがとてつもなく嬉しい。

 

 冒頭、イライザがバスに揺られながら窓の外を眺めているところからなぜか涙が出た。特になんでもないシーンなのに、自然と涙が出てくるというのは初めての経験で、いま思い返しても少し動揺してしまう。とにかく、あの画面の全てが切なくて、そこから最後まで感動が続いてゆく。あの、イライザと怪物が音楽をかけながら心を通わすシーンの美しさときたら…イライザが親友の画家を問い詰める時に見せる怒りの悲しさときたら…イライザの想いがとうとう大爆発していきなりとてつもない想像の中に突入するシーンの素晴らしさときたら…とにかく全てに心を揺さぶられてしまった。そして俺の隣に親父はいなかった。

 

 オール・タイム・ベストという言葉があるが、どんなにいい映画を観ても俺は自分の、そして親父の人生の3本には簡単に踏み込ませてこなかった。しかしこの映画は文句なしに我が純金のオスカー像を投げつけるにふさわしい。

 

あまりに感動したので、ほとんど初めて親父に連絡してこのことを伝えると、一言、「絶対見る」と、返ってきた。

 

初めて俺が親父に映画を教えることができた。

 

シェイプ・オブ・ウォーター、なにもかも最高に良かったよ。

 

 

 

グレイテスト・ショーマンを観たよ

グレイテスト・ショーマンという映画を観にいってきました。

 

俺は今のバイト先の店長にかなりお世話になっており、昨日も仕事終わりに飲みに連れていってもらって、2人で飲み食いしたものを全て奢ってくれた上でタクシー代をくれるという小たけし軍団のようなことになっていたのですが、そのお金をまんまとバルト9につぎ込んでレイトショーへとしけこんだわけです。

 

映画をあんまり見ないくせに映画をたくさん見ているような顔をして生きるのが得意なのですが、去年見た自慢できない本数の映画の中で1番面白かったのは"ローガン"でした。なので、両拳の爪で敵を惨殺しまくっていたヒュー・ジャックマンが、いい父親として、或いは夢見がちなショーマンとして周囲とわいわいやっているのを見るといつ誰が体を刺し貫かれるのか気が気ではなかったのですが、それはそれとして普通に面白かったです。1800円払って1800円分面白かった。そういうの疲れなくて、いい。

 

内容は、ベタに、多様性のことや色々な個性を受け入れることの大切さや人間はみな自分のふさわしい居場所さえあれば輝けるんだってことや平等のこととかを言ってるんですが、なんか娘がバレエ団でちょいといじめられてたこととか、嫁の両親との不和とか、色々最後までおきざりにされてたのは気になりました。でもそれも「お、いまからその辺掘り下げそうだぞ?」みたいなとこで「ハイ次!」的な、そんなとこは別にいいんだよ!みたいな、「そこやってる時間あったら歌って踊るのに使うわい」という、腕力でガンガン話を進める感じがして、好感度高かったです。そういう映画好きなんです。

 

映画に限らず、何かの作品を見てて「腕力」としか言いようのない力を感じることありませんか。小説でも漫画でもお笑いでも、色々細かいことを全部ぶっ飛ばして気にならなくしてくれる「腕力」という力。その腕力がすごく強かったり、もしくはステータスに腕力を全振りみたいな作品が大好きで。漫画だったら柴田ヨクサルの作品とか。お笑いだったらもちろん虹の黄昏さん。まぁこの映画は「お、君ベンチプレスけっこう上げるねー!」くらいの腕力なんですけど。

 

最後、娘の1人が結局バレエ団で上手くいってる横でもう1人の娘が満面の笑みで木をやってたのがすげえ面白かった。それでいいならいいんだろうね。

 

俺は腕力ないんでこの記事の面白さもこんなもんです。鍛えていきます。

 

 

追加:中盤に出てくるリンドの「夜空の星を手に入れても私は決して満足できない〜」みたいな歌ものすごくよかった!あれはすごい。カッコよかった。

 

 

 

はじめに

頭が働かない。

 

頭が働かなくなってから随分経つ。毎日バイトに行き、決まった仕事をこなしつつ、タバコを吸い、一日中携帯をいじり、帰って寝る。何日かに一度は彼女と会ったり、1人で飲みにいったりする。嬉しいことや面白いことや腹の立つことが起こり、たまに悲しいことが起きる。しかしその間、頭は働いていない。

 

その間、頭は働いていない。

 

言い訳のように、急に映画を観に行ったり、本を読んだり、プロレス観戦をする。どれも昔は大好きだった。しかし今は、頭が働いていないので、頭に入ってこない。仕方がないので、映画をよく知っている人や、本をたくさん読む人や、プロレスに詳しい人の話を聞いたり読んだりする。だが頭が働いていないので、それも頭に入ってこない。お金を払った分だけの体験が、過不足なくきっちり全身にぶつけられて、しかしそれが血肉として変わることはない。

 

気がする。

 

なにも頭に入ってこないから、気がするということで日々をやっている。読んだ気がする、見た気がする、聞いた気がする…わかった気がする。

 

この文章も、書きながら、しっかり自分が書いているのかよく分からない。自分が考えている気がすることを綴っているだけ。

 

頭が働かなくて、気がするで生活をしていると、感情がどんどんと優先されて表に出てくるようになる。頭が働かなくなってから、カッとなりやすくなった。体も、楽しければ勝手に動き、沈んでいたり疲れていたらじっと動けなくなる。表情はその時々、本来心の深いところにあるはずのものを簡単に映し出すようになってしまっていて、無用のトラブルも増えた。

 

昔というほど前ではないが、俺は、お笑い芸人だった。今は違う、と思う。

 

たまに大好きな友達とお酒を飲むと、その頃の自分が顔を出してきて、その瞬間から全てが楽しくて仕方がなくなり、次の日二日酔いで起きると全てが恥ずかしくなる。そっちが本当の自分のはずだったのに、思い出すと恥ずかしくてどうしようもない。恥ずかしさはそこから何日も行動を鈍らせて、いつもの自分に戻ってゆく。つまり、頭はまた働かなくなってゆく。

 

なにかをまた始めなくてはいけない。

 

ついに始める時が来たと思う。色々あったけどもう一度やり直さなくてはいけない。自分に戻らなくては。こんなクソみたいなことになっているはずじゃなかった。

 

とりあえず手始めにこのブログを続けることからやろう。他にできることが、今は本当になにもないので。