早く死んでレスラーになりたい。

早く死んで、(生まれ変わってプロ)レスラーになりたいということです。大丈夫です。

楽しい生活が続いているよ

先日見たシェイプ・オブ・ウォーターの凄まじいばかりの感動の後(あのあともう一度見に行った)、さすがにそれも落ち着いてまた頭の働かない日々に戻っている。永遠に機械から出て来る真っ白なレシートに時たま点々と色のついた水滴がついているような、そしてそのシミもすぐに薄く小さくなっていき、また白紙のレシートの連続に戻るような、そういう日々を過ごしている。

 

芸人だったことから、俺の周りにはなにかしらにもがいている人が多くいるのだが、彼らのレジから吐き出され続けるレシートは、もがいていながらも歴とした鮮やかな色に彩られている。努力と経験というインクだ。それを俺は巨大スーパーの1番のレジから8番のレジを眺めるような距離感で感じている。

 

たまに彼らに会えばどいつもこいつも嫌なやつは1人もいなくて、昔の俺をよく知っている人はたくさん心配してくれる。どうやら俺が段々病んでいるようにも思えるようで、その視線が怖くて、そんな話題になれば昔のように大きな声を出して話し、笑うように努めてしまう。そういう時に、自分が一体いまどっちにいる人間なのか分からなくなる。

 

なにのせいという訳でもないが、俺は、どこか病める人たちに他の方々より長く多く接してきたと思う。そのおかげで、自分がどれだけマシな身分で今まで生きてこれたのかを、道路に映る影の黒さで光の強さを感じるように認めることがある。そして、あの人は苦労してて、あの人は生まれつき大変で、あの人は運が悪かった、そんな話が集まって来ると、なぜかその不幸に嫉妬しそうな自分がいて怖くなる。そうなったら終わりだが、振り払えない。

 

いま彼女がゲームで育てているカエルの家に亀が来ました。

 

なにが言いたいのかというと、彼方と此方でどちらの岸にも上がれない船の上に居続けることも中々の地獄だということだ。あっちの岸からはもう離れてしまったし、こっちの岸は俺には上がる資格が無い気がする。でもそんな人間のことを誰が気にかけるのだろうか。どちらの岸も忙しそうでてんやわんやしている。俺はどちらにも漕ぎ出そうとしないまま沈みかけている。

 

独りでいると独り言がとまらない。このままじゃ街で見かけるヤバいジジイになっちまうよ。